そろそろ・・・


ある日息子に言われ、<

いつの間にか日記のようになっている事に気付きました。




息子が初めに書いたように


夫は、


病気、そして告知、に前向きに立ち向かい


最期のその時まで、力を振り絞り頑張りました。




明るい事、楽しい事が好きだった夫でした。


辛かった想い出は、私の胸にしまっておくべきだったのかもしれません。


ただ・・最期の時まで病気と前向きに過し通した夫の事を


皆さんに知らせたいと思う気持ちの方が強かったのです。




症状は壮絶になって行きましたが


夫は変わらず明るく、私には、


まるで天使のように思えました。




或る日夫が静かに云いました。



『何も思い残す事は無い、こうやってお前の手を握っていられれば・・・




ただ・・


 娘の   娘の花嫁姿が・・


 ウエディングドレスでなくても良いから一目見れれば・・・』と。




 私は直ぐに娘に知らせました。




娘はTA君に伝えました。




嬉しい返事が直ぐに届きました。




私達は急ぎましたが、それは・・・叶えてあげられませんでした。




でも、




夫の意識がなくなる直前、旅立つ前日の病室で


TA君が娘と共に、結婚の許しを得る詞を夫に云ってくれたそうです。




息子と私が、別室で何枚もの誓約書を読みサインをしている時でした。




何とか話す事が出来た夫は、


<『嬉しい・・・幸せだ』
 それが、夫の最期の言葉になりました。




その事を、後に娘から聞き・・・一緒に涙しました。




先日、結納の席で、


Ta君が云ってくれました。




「三月十二日に御父さんと約束しました・・・」


夫が旅立つ前日です。




約束してくれた事、


 それから娘をずっと守ってくれた事、


 そして


改めてその日に話してくれた事、




その総てに、感動しました。




父親である夫が


どんなに喜んでいるでしょう、そう思いました。








夫の意識が無くなり・・・それからは、夫の望みを知っていた息子が


出来る限りの時間・・


そして最期の時まで、


夫が、私の手を握れるようにしてくれました。




その間


二度、夫の手から私の手に電流が流れました・・・その感触は今でも忘れません。






夫の遺影は、数ある中から皆で選んだものです。




少し照れた笑顔の写真・・・




実はその写真の元がずっと見当たらず、ネガを捜さなくてはと思ってました。




昨日、荷作り中に・・・偶然その写真が出てきました!



笑顔の夫の横には、ウエディングドレスのような真っ白なバレエの衣装を着て


ブーケのような花束を持った娘が写っていました・・・・(微笑)






このブログを見守ってくださった皆様




『有り難うございました。』




ふと思い出された時・夫yamauchiに逢いに訪れて頂けると嬉しいです




夫からメッセージが届けられるかもしれません・・・・(微笑)yamatsuma







言葉には言霊があるそうです。


ブログや携帯のメールには、この一年、とても助けられましたが、


やはり何かを

伝えたい時、聞きたい時、確かめたい時・・・・

出来れば逢って眼を見て話したいと思っています。

これからは、ゆっくり自分らしく過していくつもりです。


家族との思い出でいっぱいの

東京を去るとなると

寂しさが増して来ました~お別れ会・最後のランチ・買い物・・・

だんだんセンチになり始めた時に、


junnjunからメールが届きました。

歓迎会!の文字に~気分が一転しHappyになりました。


携帯メールは手放せません(笑)。


yamatuma




本日の江原さんからの言葉を今、受け取りました。

さすがに荷造りに飽きてしまいました(笑)。


{人生の指針}

死はすべての人に訪れます。この世に生れた目的は、沢山の経験をして、魂を磨くためです。

すべてのカリキュラムを終えると

「お疲れさま。もう帰ってきていいよ」とスピリチュアル・ワールドから呼びかけられて、戻って行くのが

死 なのです。


夫のあの日から、沢山の本を読み、様々な経験をし、

夫は、父は祖父は祖母は、亡くなったと云われる人々は、亡くなったのではなく、旅立ったのでもなく、

帰っていったのだと、今素直に思えます・・・・・


そして今月

junjunちゃんと、江原さんの講演に~福岡で行くことになりました。

なんと、席は前から三番目です!

いけちゃんさん!の一年間御指導の御陰で、チケット・自分で取れるようになりました(笑)。

いけちゃんさんに感謝致しま~す!!


yamatsuma

在宅の担当医は、昭和大学病院の相談室からの紹介で、

奥沢にある青い・・・会にお願いしましたが

様々な問題がありました。


このブログが終わる頃になって書いたりしてと思いますが、

今だから書けるのかもしれません。


先生は週に二回の往診と

週1回一名の介護師さんが来てお世話をされます。

夫と私は、介護師さんの訪問を、お断りしましたが、そうはいかない感じでした。

一番不思議だったのは、始めの説明の時です。

介護士さんが夫を介護?してる時は、私は部屋から出ているように云われた事でした。


昭和大学の担当のTさんは熱心な方で、私一人では無理だと、

色々捜されて決めてくださった病院でした。

何とか、上手く付き合おうと必死でした、


腹水の治療が出来る大きな病院だといわれましたが、

唇から出血し、止まらなくなった時に救急車を呼ぶように云われ、

結局、昭和大学病院の救急室で縫って頂き、深夜息子の車で帰宅ました。

その時は必死でしたが、自宅で出来なかったのかと・・思ったりします。


週一の看護・・或る日夫と私は閃きました。

洗髪をお願いしようと~

前日、電話で頼みました、何も用意しなくて結構です!と云われ楽しみにしてました。

ところが来られて直ぐに

バケツ二個~

バスタオル三枚~

柄杓一つ~

シャンプーリンス(当然でした!)

ポリ袋大を三枚!!驚きました。

そして、42度の御湯~~でした。

私は走り回りながら何とか準備をしました・・・

あっという間に、手作りのシャンプー台が出来ていたのには驚きました。


看護師の方が帰られて総てを片付け、一息ついて夫と本を眺めてました。

介護用品の総てが載った本でした。


シャンプー台セットと称して、快適そうな電化製品が一万円代で在りました。

患者側が買う為のパンフレットです、


青い・・・会さん、何台も車をお持ちの病院です、その製品を幾つか常備されても良いのでは・・・・・・・yamatsuma

                                                                                                















婚約式~結納

とても和やかな一日でした。


Ta君のママが手作りのハート型ケーキを持参されて(驚)

Ta君と娘の二人は、結婚披露宴のようにケーキ入刀をしました。


皆、拍手をしてくれて~二人はとても幸せそうで私は胸が熱くなりました。


二人は今月籍を入れ、一緒に暮らし始めます。

数日、新居に御邪魔して~福岡に行こうと思っています。


記念に写真を沢山撮りました。

最後に、御店の方にお願いして、全員で写りました。


Ta君のママが、一枚ではなく、始めからこう云われました。

「三枚!!お願いしま~す!」

Ta君のママはとても素敵な方です~いつも優しく気が利かれます。


それから、ママは一枚撮る毎に声をかけてくれました(笑)。

一枚目は『チ~ズ』誰かが云いました、普通は写す方が言うのでは??

二枚目は『ウィスキ~』

三枚目は・・・・

当然、みんなの期待が集まりました!!

『たかしさ~~ん』


感動しました!!嬉しくて思いがけず感激して、ママに有り難うございます!と何度も云いました。

ところが、周りを見ると皆不服そうです。

何故でしょう?皆には嬉しい言葉ではないのでしょうか!


その時、

高橋さんて誰??誰もがそう云ってました。

え~~私にはハッキリ

『たかしさん』と聞こえました!だから感動してたのです。


結局、何故か私以外は皆・たかはしさんと聞こえたそうです。


いえいえ一人沈黙を守っている方がいらっしゃいました。


Ta君の御父様です!私は、どうしても確かめたくて伺いました。


御父様は、小さな声で仰いました。

たかはしと聞こえましたね・・・・と(笑)



三枚目の写真が楽しみです!

お母様と、私だけが満面の笑みだと思います・・・・・yamatsuma











夫は、お風呂好きな人でした。

身体が思うように動かなくなり入浴サービスを受けました。

引越し業者のような感じで、

数人が下見と契約に来てくれました。


重要なのは、浴槽を暖かい場所に設置する事と診断書の提出でした。


当日は、初めての事なので総てお任せしながら夫の傍に居ました。


夫は、とても気に入り又直ぐにお願いしますと申し出ましたが、

来週ですね~と言われ、とても残念そうでした。


来週、

入浴する事は叶いませんでした。


一度だけの入浴サービス


陽気な夫が、入浴剤は何を入れましょうか~?と聞かれた時、

「お酒~」と云い、


「それはちょっと・・」と、困られましたが


皆で笑ったのを思い出します・・・・yamatsuma





この一年

メールの有難さと、難しさを知りました。

ある事から、電話で話す事が苦しくなり、留守電にし続けました。


夫の病気の事を知らせてからは

何も出来なくて・・・皆さんそう云ってくれました。

とんでもないです、結局私も何も出来ませんでした。


でも、その言葉に力をもらいました。

メールでの励ましが、どんなに嬉しかったかを言葉で伝えたいと思いながら

云えずに、そのままになってしまいました。


その事を、御詫びしたいと思います。


沢山のメールをくれた友人に感謝します・・・・yamatsuma


この一年、何故か不思議な事が沢山在りました。

今思うと・・・その不思議の御陰で

充実した一年を過せた気がします。


引越しまでの時間ガ無く、一つでも荷造りしなくてはいけない状況です。

焦りつつ、まだまだ続く不思議を書かせて頂きます(笑)。

もう最後ではと思いながら~不思議が終わりません。


一年を想う日、

代官山の海苑(中国料理)で円卓を囲み~最後の料理が出された時、

バチンと停電しました!

地下二階の窓がない個室です。

突然真っ暗になり皆慌てましたが、家族だけは平然としてました。

私はつい『夫ですよ!』と云ってしまいました。

実はチョッと嬉しくて、あのお風呂の電気の話をし始めようとして止めました。

暗くて表情は見えなかったのですが、気配で、周りの皆がひいているのが判りましたので(笑)。


それから、しつこく(笑)何度も点いたり~消えたりを繰り返し・・・

とうとう姉が義兄に電気に詳しいでしょう!と、修理に行かせようとしてましたが、

義兄は微動だにしません。

後日、姉から義兄がこの日の停電を夫だったに違いないと言ってたと聞きました。


とうとう消えたままで数分が経ちました~

御店の方は遠くで何とかされてるようでしたが

さすがに長すぎるので、せめて蝋燭でも借りに行こう・・・と私が立ちかけた時、やっと点きました。


もう消えそうも無い感じでしたので、私は席を外しましたが、

皆さんが、きっと夫の話題をしなかったからでは・・・と、口々に言われ

それから暫らく夫の話をして下さったそうです。

皆様お疲れ様でした~有り難うございました。




そして、婚約式の日

その日は朝から雨風で~午後にはすっかり雨はあがりましたが・・・


タクシーの助手席に乗った息子は

運転手さんの傘も一緒に間違えて持って降りてしまいました。


青山の或る建物の玄関で≪二本≫分の傘札を貰っている息子を見て

TA君が、とても不思議そうでした(笑)。


会が終わり、二次会に主役の二人と若者達は行く事になりました。

二本の傘を持ち、参加するかを迷っている息子に


TA君のママが、Yu君も行きなさい~荷物は預かるから~と、

二本の傘を奪い(笑)、あっという間にタクシーに乗って帰られました。


帰宅後、ママから息子に御詫びの電話がありました。

~なんと・あの二本の傘の一本だけをタクシーに忘れてきたそうです!!


息子は、良いですよ~あれは運転手さんのですからと、笑顔で答えてました。

確かに運転手さんの傘に違いないのですが・・・


まさか・・・でも二本ソックリな傘でした。

先日こっそり確かめました。


ドチラを忘れたのか実はとても気になっていたのです。


家に残っていたのは夫の傘でした、何だか嬉しくて何故だかホッとしました。

                   


・・・・・yamatsuma








在宅の時間に様々な夫の楽しみがありました。


日課になっていた針灸治療


先生には大変お世話になりました。

いつも冷静で何より夫と正面から向かい合ってくださいました。

今回出会った病院の先生方とは全く違いました。


当然でしょうか・・・お人柄だと思います。

病気の事は殆んど話されず、

今どこが痛いか辛いかを、いつも静かにゆっくり聞いてくださったのです。

夫は毎日その治療を望み、日曜以外の数ヶ月間遠方から来て頂きました。


看病する側も何も出来ないのは辛いでしょうと、

腹水緩和の為に、里芋湿布や、蒟蒻での温湿布、

手足がつった時の御灸の仕方も、丁寧に教えて頂きました。


治療後は、三人で色々な話をし

何時の間にか毎日のお茶の時間になっていました。

夫にとっては勿論、私にとっても心休まるひと時だったと思います。


そして

先生が帰られると

夫はいつも気持ち良さそうに熟睡しました。



針灸恵樹堂の先生

お世話になりました。

有り難うございました・・・・yamatsuma







夫の部屋で聴けるようにと息子が編集してくれたCDは、

吉田拓郎さんの歌で溢れていました。


祭りの後~線香花火~今は未だ人生を語らず~

歌詞の一言一言が心に沁みます。


いつになれば笑って聴けるのでしょう・・・


テレビを観なくなった私に息子は時々DVDを用意してくれました。


映画のサトラレを観終わった時は、暫らく・・・夫に

『御免なさい』を繰り返しましたが、

拓郎さんの歌には、

『有り難う』を繰り返します。


たどり着いたら何時も雨降り~


確かこの歌も拓郎さんの歌・・・


よく車で聴いた懐かしい歌です。

夫が大好きな歌でした。


車でいつも聴いてたのは

モップスの鈴木ヒロミツさんの歌声でした。


先日、


鈴木ヒロミツさんが旅立たれたと聞き、

この歌を思い出しました。


御冥福をお祈り申し上げます・・・・・・yamatsuma